シンポジウム2
1)エストロゲン・プロゲステロンによるインスリン抵抗性
和田 努
富山大学
【目的】
生活習慣の欧米化や晩婚化に伴い増加する妊娠糖尿病は,周産期・新生児合併症を増加させことに加え,母体の糖尿病発症,さらには児の将来の肥満や糖尿病発症に影響することが知られており,その病態生理の解明は重要な命題である.妊娠中に認められるインスリン抵抗性は本来胎児に適切に栄養を供給するための機構であるが,インスリン抵抗性が過度に増大すると母体は妊娠糖尿病を発症する.妊娠糖尿病の血糖コントロールは妊娠後期に悪化しやすく,また胎盤由来のさまざまなホルモンや生理活性物質の分泌も妊娠後期に増加することから,妊娠中のインスリン抵抗性誘導にはこれらの因子の関与が想定されてきたが,その詳細な機序は不明であった.一方,閉経女性およびエストロゲン作用が欠損したマウスにおいてインスリン抵抗性を認めることから,生理的濃度のエストロゲンはインスリン感受性を高めるが,妊娠中の高エストロゲンはインスリン抵抗性を誘導するという濃度依存的な作用特性の違いが想定される.またプロゲステロンの糖代謝への影響とメカニズムを直接検討した報告はあまりなく,その関与も不明な点が多い.そこで本研究ではこれらエストロゲン・プロゲステロンのインスリン感受性に及ぼす影響とその分子メカニズムにつき,インスリンの主要な標的細胞である脂肪細胞を用いて検討した.また近年注目されている視床下部を介したエストロゲンの中枢性代謝制御機構について,マウスを用いて検討した.
【方法】
3T3L1脂肪細胞を10-9~10-5 Mのエストロゲン,または10-8~10-4 Mのプロゲステロンで16時間前処置し,インスリン刺激後の糖取り込み作用とインスリン抵抗性発現に至るインスリンシグナル伝達を検討した.細胞膜,細胞質,核の細胞局在は蔗糖密度勾配超遠心法を用いて分画した.Glut4の細胞膜へのトランスロケーションは螢光染色後共焦点レーザー顕微鏡を用いたplasma membrane sheet assayにて定量した.細胞への糖取り込み作用は[3H]2-deoxy-glucoseの取り込みをシンチレーションカウンタで測定した.恒常活性型PI3キナーゼと恒常活性型Aktはアデノウイルスを用いて発現した.TC10活性は細胞膜分画のPAK1-GST pull-down法にて検討した.
エストロゲンの中枢性代謝制御作用は,卵巣摘出マウスに6週間高脂肪食を負荷したインスリン抵抗性マウスに浸透圧ポンプを用いて皮下(50 μg/kg/day)または側脳室内(1μg/kg/day)へ10日間のエストロゲン投与を行い,代謝表現型に与える影響を糖負荷,インスリン負荷試験,MRI,代謝ケージなどを用いて検討した.
【成績】
妊娠後期に相当する高濃度のエストロゲンは,細胞膜に局在するERαを介してJNKを活性化し,これがインスリンシグナル蛋白であるIRS1のセリン307残基を特異的にリン酸化することでインスリンシグナルを抑制した.一方,生理的濃度のエストロゲンは細胞膜に局在するERαを特異的に減少させることでインスリンシグナルを亢進することを明らかにした.さらに,妊娠中に胎盤で産生されるTNFαを高濃度エストロゲンと共処置することで,インスリン抵抗性が相加的に悪化することから,妊娠後期の脂肪細胞におけるインスリン抵抗性病態の形成に,エストロゲンとTNFαが協調的に関与する可能性が想定された.
一方,プロゲステロンは低濃度においてはインスリン感受性に影響を与えず,高濃度においてのみインスリン抵抗性を誘導した.プロゲステロンもエストロゲン同様インスリン受容体のリン酸化や発現には影響を与えず,IRS1のステップでインスリンシグナルを抑制した.しかしIRS1-PI3キナーゼ経路の抑制に比較してインスリンによる糖取り込み抑制作用は強かったため,プロゲステロンによるインスリン抵抗性には複数の機序が存在すると想定された.PI3キナーゼとAktの各恒常活性型変異体の発現実験から,プロゲステロンはIRS1-PI3キナーゼ経路の下流においても直接インスリンシグナルを抑制すると考えられた.さらにプロゲステロンは脂肪細胞に特異的に存在するCbl-TC10経路(PI3キナーゼ非依存性経路)も抑制することが明らかになり,プロゲステロンはインスリンシグナルの,少なくとも3つのステップを阻害することで,強力にインスリン抵抗性を誘導することを明らかにした.
近年全身の糖脂質代謝やインスリン感受性は,インスリンやレプチンなどの末梢組織からの入力が視床下部に作用することで統合され,その結果各末梢組織のインスリン感受性やエネルギー代謝が制御されていることが明らかにされている.興味深いことに,エストロゲンはレプチン同様に食欲を抑制すること,視床下部にはERが発現していること,エストロゲンは視床下部でStat3のリン酸化を誘導することなどが報告された.これらの知見からエストロゲンはインスリンやレプチン同様,視床下部に作用することで全身のインスリン感受性や糖脂質代謝に影響を及ぼすことが考えられる.そこで卵巣摘出高脂肪食負荷により生じたマウスのインスリン抵抗性に対するエストロゲンの中枢投与,全身投与がマウス個体のエネルギー代謝とインスリン抵抗性に及ぼす影響を検討した.非常に興味深いことに,糖負荷試験やインスリン負荷試験において,エストロゲンの中枢投与は全身投与とほぼ同等のインスリン感受性改善効果を示した.エストロゲンの糖代謝改善メカニズムにおける末梢性と中枢性作用の役割を解析したところ,エストロゲンは末梢性に白色脂肪組織(WAT)の脂質取り込み・合成に関わるLPLやFASの遺伝子を抑制し脂肪量を減少させ,またWATの慢性炎症を抑制することでインスリン感受性を亢進すると考えられた.一方エストロゲンは中枢性にWATの脂肪分解酵素の発現を亢進させ,肝糖新生の律速酵素であるPEPCKとG6Paseの発現を抑制し,褐色脂肪組織のUCP発現を亢進した.その結果中枢エストロゲン作用は脂肪量を軽度減少させ,マウスの体温,自発運動量,酸素消費量,エネルギー消費量を亢進させ,インスリン感受性を高めると考えられた.
【考察】
妊娠時のインスリン抵抗性に対する生理的意義が明らかになってきており,またその発現に胎盤由来のホルモンが関与することが想定されている.しかしそのメカニズムは不明な点も多く,妊娠糖尿病の病態を理解するうえでエストロゲンおよびプロゲステロンの代謝調節作用を解明することは重要ある.本研究によりこれらの女性ホルモンによるインスリン抵抗性誘導機構が明らかとなった.特にエストロゲンは濃度依存的に2相性にインスリン感受性に影響を与えるそのメカニズムは興味深い.また高濃度エストロゲンとTNFαが協調的にインスリン抵抗性を増悪させる機構は,妊娠糖尿病の病態として重要な知見と考えられる.さらに,マウスにおいてエストロゲンの中枢投与は全身投与と同等のインスリン感受性亢進作用を示すが,その改善機序が異なることを示した.本成績により妊娠糖尿病の病態の理解が進み,女性のインスリン抵抗性に対する新たな介入法の開発に繋がることが期待される.
2012年 第64回